大判例

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佐賀地方裁判所 昭和32年(行)4号 判決 1971年8月10日

原告

藤山正己

外九名

右一〇名訴訟代理人

森川金寿

外九五名

被告

佐賀県教育委員会

右代表者

小松満

右訴訟代理人

森静雄

外四名

主文

被告が昭和三二年四月二日付でした原告らに対する別表二記載の懲戒処分はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

当事者の求める裁判

一、原告ら

主文同旨の判決。

二、被告

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。<以下省略>

理由

第一、原告らが昭和三二年二月当時別表一、記載の各学校に勤務し同表記載の職にある教育公務務員たる地方公務員であり地公法による職員団体たる佐教組の同別表記載の役員たる地位にあつたこと。

佐教組が昭和三二年二月一四、一五、一六日佐賀県下の公立小中学校において、教職員の定員削減反対、昇給昇格の完全実施などを目的として、いわゆる三・三・四割休暇闘争を行つたこと。

被告は同年四月二日付で原告らに対し、原告らが右休暇闘争の実施に関連して別表二記載のような行為をなし、これが地公法三七条に違反するとの理由で、同表記載の懲戒処分をなしたこと。

以上の事実は当事者に争いがない。

第二、地公法三八条一項と憲法二八条の関係

一、ところで原告らは本件処分の根拠法規となつた地公法三七条一項の規定は憲法二八条に違反すると主張するので以下この点につき判断する。

二、地公法三七条一項と憲法二八条との関係については、すでに最高裁判所昭和四四年四月二日判決(刑集二三巻五号三〇五頁、いわゆる都教組事件判決)において判断が示されているところであつて、当裁判所も右判決と基本的立場を同じくするものである。

すなわち、憲法二八条において保障する勤労者の団結権及び団体交渉その他の団体行動をする権利(労働基本権)は、憲法二五条の生存権保障を基本理念とするいわゆる生存権的基本権であり、公務員も憲法二八条の「勤労者」としてこの権利の保障を受けるものであつて、公務員は全体の奉仕者であることを規定する憲法一五条を根拠として、その労働基本権を全面的に否定することは許されないが、公務員の職務は一般的にいつて私企業の労働者のそれに比し公共性が強いものであることは否定できないところであるから、その労働基本権については職務の公共性に対応する制約が内在し、具体的にどのような制限が合憲とされるかについては、

第一に、労働基本権が勤労者の生存権に直結し、それを保障するための重要な手段である点を考慮し、その制限は合理性の認められる必要最小限度のものにとどめられること。

第二に、労働基本権の制限は勤労者の職務の性質が公共性の強いものであり、従つてその職務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な支障をもたらすおそれのあるものについてこれを避けるために必要やむを得ない場合について考慮されるべきこと、

第三に、労働基本権の制限違反にともなう法律効果、すなわち違反者に対して課せられる不利益については、必要な限度をこえないように十分な配慮がなされなければならないこと、

第四に、職務の性質上労働基本権を制限することがやむを得ない場合にはこれに見合う代償措置が講ぜられなければならないこと、

などの諸条件を考慮し、慎重に決定する必要がある。

三、ところで地方公務員の職務の性質、内容は多種多様であつて、職務の一時的停廃が直ちに地方住民の生活上の利益を害するような公共性の極めて高いものから、私企業のそれとさして異らない、利益侵害の程度の比較的弱いものまで多岐にわたること、また争議行為の態様もさまざまで、同盟罷業の場合を考えても、異常に長期にわたるものから、極めて短時間のものまであつて、地方住民に与える影響も決して一様ということはできず、この点よりすれば、争議行為の主体とその態様に応じ地方住民の生活に与える影響の性質程度は千差万別である。

また一方地方公務員の側をみても、勤務条件には常に変動があつて、これに応じて争議権を保証されることによつて実現される地方公務員の利益も一様ではない。

以上の諸点を前記四条件に照して考えると、地方公務員の労働基本権殊に争議権が制限されるのは、争議行為が地方住民の生活に重大な支障を来す場合に限られるべきであるが、右支障が重大か否かは具体的争議行為におけるその主体たる地方公務員の職務の公共性の程度、争議行為の態様等を総合して判断し、当該争議行為を保障することによつて地方公務員にもたらされる利益と比較関連し、何れがより尊重されるべきかをも勘案して決定されるべきものである。

また地公法三七条一項は地方公務員の争議行為を禁止してはいるが、しかしながら少なくともこれに違反して争議行為に参加したに止まる者に対しては懲戒責任はともかく刑事上の制裁は課さない建前であることは同法六一条四号の規定上明らかであるから、そのような法律効果しか伴わないものとして争議行為を禁止しても、それは必要の限度を超えない合理的なものというべく、したがつて禁止される争議行為の範囲を前記のように限定して解釈する限り、同法三七条一項は憲法二八条に違反するものではない。

四、地公法三七条一項は「職員は、地方公共団体の機関が代表する使用者としての住民に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をし、又は地方公共団体の機関の活動、能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法行為を企て、又は遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。」と規定し、その文言上のみからすると一見何らの限定なしに地方公務員の争議行為を一律に禁止しているかのようではあるが、しかしながら法律の解釈は、その文言のみに拘泥することなく、憲法その他の法体系と調和させながら、その趣旨内容を明らかにすべきものであるところ、その見地からすれば同法案は前記のように限定的に解すべきであり、且つそれが充分可能である。

原告らは右のような解釈は法解釈の域を超え、一種の立法にあたるもので許されないと主張するが、地公法第三七条一項には、地方公務員の争議行為を例外なく禁止したものとしか解釈できないような文言は見当らないし、右のような制限解釈をすることが殊更同条項の文言を枉げることにはならない。

第三、地公法三七条一項と教職員の争議行為

一、つぎに原告らは地方公務員の職務の公共性が高い場合は争議権を制限できると仮定しても、公共性の高い職務というのは、その職務が地方住民の日常生活に不可欠であつて、その一時的停廃が直ちに住民の日常生活に重大な障害をもたらすような場合のみを指し、教職員の職務は右の意味における不可欠業務にあたらないから、その争議行為は地公法三七条一項により禁止できる場合にあたらないと主張する。

二、原告ら主張のような不可欠業務が公共性の高い職務にあたることはその主張のとおりではあるが、しかしながら公共性の高い職務が右のような場合のみに限定されるいわれはなく、職務の一時的停廃によつて蒙る住民の損害が、その日常生活に直ちに及ぶ場合でなくても、極めて重大であつて、回復できないような場合も含むべきものと解する。

三、これを公立学校の教職員についてみるに、憲法二六条は国民に教育を受ける権利を保証するととももに子女に普通教育を受けさせる義務を課しており、この目的を達するため市町村はその区域内の学令児童生徒を就学させるに必要な小中学校を設置すべく義務づけられている。(学校教育法二九条、四〇条)

而して右立法の建前や現代社会における教育の占める地位を考え併せれば、一般国民にとつて、少なくとも義務教育を受けることはその将来の社会生活上不可欠であり、教育を受ける権利は重大で最も基本的なものであることは疑いのないところである。

しかも学校教育法施行規則は年間授業日数や各教科の学年毎の授業時間の基準を定め、これに基づいて定められた学習指導要領は各学年毎に各教科の目標を定めており、また教育の効率的な運用の面からみても、教育は予め綿密適切に計画されたところにしたがつて行われることが必要であり、授業の一時的停廃は一般的には右系統的な教育計画全体に影響を及ぼすおそれが大きく、ひいては国民の教育を受ける権利に支障をもたらすものというべきである。

以上のとおりであるから教職員の義務が公共性の強いものではないことを前提として争議行為の制限を一切受けないとする原告らの主張は採用できない。

四、もつとも、実際上はどの学校においても授業時間数は前記施行規則の基準を上まわつて定められ、学校行事、教員の研修、出張等で授業が欠けることがあつても後に充分補充がなされていること、また農村では農業休業も行われるが、日数なども各学校により異つていること、更に事情によつては一たん編成された教育計画も学校の自主判断によつて変更、修正できるなどの実情にあることが認められまた教科の進度はおおむね平均化されているとはいうものの、児童、生徒の理解に応じてある時は早く、ある時は遅く、またある時は繰り返して進められていることは公知の事実というべきである。このように教育計画は相当の余裕を見込んで作成され、しかも必ずしも絶対的不可変的なものではなく学校教育は日常的に或る程度の弾力性、柔軟性をもつて実施されている実情にあることは否定できないところである。

したがつて、教職員の職務の停廃が短時間に止まる等授業への影響が容易に回復できるような範囲のものである場合には、教育計画全体への影響のおそれはなく、地方住民の生活への影響は必ずしも重大ではないものというべきである。

第四、

地公法三七条一項と本件休暇闘争

地公法三七条一項によつて禁止される争議行為の範囲及びこれを決定する基準については第二、三において述べたとおりである。

そこで本件休暇闘争が右禁止される争議行為に該当するか否かにつき考察する。

<証拠>および弁論の全趣旨を総合して認められる事実並びに当事者に争いのない事実によれば本件休暇闘争の背景、経過、態様はつぎのとおりであつた。

(一)  佐教組は、佐賀県内の市町村立小中学校の教職員で組織された地公法五二条一項に規定する団体(単位団体)の連合体であつて、単位団体及び単位団体を組織する教職員(以下組合員という)の経済的、社会的、政治的及び文化的地位の向上をはかり、教育及び学問の民主化に努め、もつて文化国家の建設に寄与することを目的として、昭和二二年組織されている法人であり、他の都道府県教職員組合とともに連合体である日本教職員組合(以下日教組という)を組織している。佐教組は最高議決機関として大会(毎年一回又は臨時に開かれ、組合員の直接無記名投票によつて選出された代議員をもつて構成する)、大会に次ぐ議決機関として大会より委任された事項および大会に提出する議案の検討その他を任務とする中央委員会(原則として毎月一回開かれ、各支部ごとにその支部の代議員会において組合員により選出される中央委員及び支部長をもつて構成する。)を設けるが、大会または中央委員会の決議により、さらに組合員の一般投票(全組合員の直接無記名投票により、その過半数の賛成がなければその効力を生じない)を行うことができ、大会又は中央委員会の決議が一般投票で否決されたときは、その後その決議は効力を失う。執行機関として執行委員会を設け、そのもとに組織、法制、情宣部などが置かれ、執行委員がその長を兼ねる。組合が闘争状態に入つた場合には、執行委員会を闘争委員会とし、闘争に関する組合業務を執行する。また闘争委員会の構成員に各支部書記長が参加して構成される拡大闘争委員会は闘争の具体策の検討にあたる。佐教組は佐賀市、唐津市、三養基郡、神崎郡、佐賀郡、小城郡、東松浦郡、西松浦郡、島郡及び藤津郡に支部を、各学校に分会を置き、各支部は組合の目的を達成するために所属の分会又は組合員と本部との連絡ならびに分会相互間及び組合員相互間の連絡提携にあたり、必要な事業を行い、最高議決機関として総会、総会に次ぐ議決機関として代議員会(重要な議案については各学校長が参加する拡大代議員会を開くことがある)、執行機関として常任委員会を、役員として支部長、書記長、常任委員その他を設け、支部の議決機関及び執行機関は本部の拘束を受ける。

(二)(1)、佐賀県財政は昭和二五年度から実質的赤字を生じ、ことに県費負担公務員の増加とベースアップによる人件費の増加、災害の頻発、特に昭和二四年と昭和二八年の水害による事業費の増加及び歳入の不足を補うために起した地方債の元利償還金の累積によつて実質的赤字の累計は昭和二八年度には約五億二、〇〇〇万円になり、このまま推移すれば累増することは明らかであつた。このため昭和二九年三月の県議会で、小中学校の児童生徒数の自然増加に伴い、教員定数の一九一名増加を内容とする予算案が可決されたのにかかわらず、同月末には右財政の赤字を理由として逆に教職員の議員を含む赤字解消の必要性を説く「行政機構簡素化と人員整理に関する決議案」が一部議員から提出され議決されるに至つた。

(2)  そこで右決議案をきつかけとして県当局は赤字累増防止対策に乗り出し、「佐賀県郡設置条例案」、「佐賀県地方事務所を廃止する条例案」等の機構簡素化案や、人員削減案を同年五月の県議会に提出したが、そのうち教育関係については、教職員の定員を一二六名削減し、(但しこれに見合う欠員があつたから現実の人員整理はなかつた)、その他欠員補充のずれから生ずる人件費の節減、昇給昇格の抑制による経費の節減等

合計五、五〇〇万円の経費を削減する案であつた。しかし各議案に対する反対が強く何れも審議未了廃案となつた。

(3)、同年九月、県当局は前記各議案が廃案になつたので、再びほぼ同様の議案を同月の県議会に提出し可決された。そのうち教育関係の人件費についてもほぼ五月県議会に提出されたものと同様で、節減額は約五、二〇〇万円というものであつた。

(4)、前記のとおり右人員削減は現実の出血を伴わなかつたとはいうものの、欠員の補充ができない結果になり、教育への影響は無視できないものがあつた。

(5)、イ、右のとおり経費節減策は講じられたものの、なお県財政の赤字は累増し、昭和二九年度の累積赤字は八億五、〇〇〇万円に達した。

県当局としては県財政の建直しの希望を昭和三〇年七月、成立を予定されていた「地方財政再建特別措置法」の実施に託していたが、これが継続審議となつた。しかし財政の窮乏は一時の猶予も許されず、且つ右地財法成立後は直ちにその適用が受けられるようにするため、同年一〇月に至つて、昭和四〇年度までの一一年間にわたつて計画的に財政規模を縮小し、人件費の節減をはかることによつて県財政の再建をはかる計画(自主再建計画)を策定した。再建計画の内容は、公共事業費の七割、一般事業費の五割削減、一般補助金の五割縮減、県本庁及び出先機関の整理統合、各種委員会、審議会の整理及び定員の削減、昇給昇格財源の減縮、超過勤務手当の減額等による人件費の節減等の節減等行財政のあらゆる面に及ぶものであつた。

ロ、昭和三〇年七月頃、県当局は自主再建計画の一環として被告に対して教職員の当時の定員より一、四〇〇名削減する結果になる定数条例案の送付方を要請した。これは地方交付税の基準財政需要額を基礎に算出した純粋に財政的見地から出た定数を基礎とするものであつた。

しかしながら被告としてはそのような大量の人員削減は教育行政上全く不可能としてこれを拒否し、独自の立場から現員より四〇八名(うち県立高校三三名、小中学校三七五名)を削減する結果になる定数条例(四〇八条例)案を作成し、地教委と協議を進めたけれども、大量の人員削減は教育現場の混乱を招くことを理由に反対する地教委との調整が難航し、四名の県教育委員の辞任という異常な曲折の末残留委員のみで右条例案を送付し、同年一一月の県議会で可決された。

而して右削減の方法は、養護教諭と事務職員を主とし、昭和三〇年度と翌三一年度の二年間にわたつて希望退職を募るという計画であり、相当強力な退職勧奨が行われたが、未亡人や海外からの引揚者が多かつた養護教員、事務職員は右勧奨に応じないものが多く、一方退職勧奨の対象とならなかつた一般教員中から将来に見切りをつけて自発的に退職して行く者が多く出たため、結局第一年目である昭和三〇年度末には最終目標にほぼ近い四〇五名が退職することになつた。

ハ、その結果小学校では学級担任以外の教員が少なくなり、中学校では教員の授業受持時間が長くなり、出張等で教員が欠ければ校長が教壇に立つたり合併授業をしたりしなければならなくなる等教育現場には深刻な影響があつた。

一方被告は昭和三一年度の教職員の異動に際し、養護教員及び事務職員に対し甚しい負担過重な二校以上の兼務や、一人分の仕事しかない学校に二人を発令するようなことをしたので、教職員間では嫌がらせの方法による退職勧奨であるとの批判も生じた。

(6)、イ、昭和三〇年一二月地財法が成立するや、県当局は直ちに県議会の議決を得た上財政再建団体の指定を受け、これと前後して法定再建計画の策定に入つたが、右計画に対する自治庁の要求は予想以上に厳しく、その内容は自主再建計画に比し厳しいものとなつた。

即ち右計画は昭和三〇年から昭和四〇年までの一一年間を財政再建期間とし、行政規模の適正化、行政組織の合理化を人口、財政規模等の類似した他県と比較しながら進めようとするものであり、交付税の増加、県民税の均等割の引上げ等により多少の歳入の増加も見込まれたが、歳出面においては人件費を中心に自主再建計画より更に節減を余儀なくされることになつた。

ロ、これを小中学校の教職員定数についてみると、当時一学級当りの教員数(配当率)が小学校一、二一四人、中学校一、六一七人であつたものを、類似県平均の小学校一、一九人、中学校一、五八人に学級数を乗じたものを基準として児童生徒の自然増減に伴う学級の増減の見込まれるものについては一学級一人の割で増減したものを教員定数とし、当時三〇〇名近くいた事務職員を昭和三五年までに全廃するというもので、計画の最終年度たる昭和四〇年度までに結局約七〇〇名が整理される上、一人当りの給与単価を引下げる目的で、新陳代謝が行われ、そのため相当数の高年令者が退職を余儀なくされるというものであつた。

ハ、右計画は文部省の統計によると佐賀県が類似県に比し教員の数が多いからこれを類似県並みにするという構想から出たものではあるが、しかしながら特に整理の重点目標になつた養護教員と事務職員は類似県では市町村費で賄われる者が多く、そのような養護教員は右統計上に現れないため、統計のみを根拠として佐賀県の教員数を比較するのは合理的でないこと、佐賀県は地理的な条件から類似県に比し大規模学校、大規模学級が多く、教員一人当りの受持児童生徒数が多かつたので、佐賀県の教職員は勤務条件上類似県より格段によかつたとはいえないことなど、教育現場の実態より財政的考慮に重点が置かれたものであつた。右のような計画が実行されれば、教育現場では次のような混乱が当然に予想されるものであつた。

① 大部分の学校では、事務、養護の仕事を学級担任が行うか、仕事を全廃するほかないこと。

② 教員の欠席が一名なら校長が教壇に立つことによつて補えるが、二名以上になると合併授業をやる以外に方法がないこと。

③ 中学校は一教員が二教科までは受持つことが可能であるが、計画によれば四教科、五教科を受持つことになり、不可能を強いるばかりか、P・T・A、クラブ活動、校外指導など出来なくなること。

④ 教職員の過重労働を若干でも軽減するために、事務員、給食婦を雇うことになると、赤字団体である市町村費ではまかなえないので、いきおいP・T・Aに陳情することとなり、父兄の経費負担が激増することになること。

⑤ 県の教育費削減が、市町村立学校の管理者である市町村に肩代りされ、市町村費の窮乏に拍車をかける結果になること。

二、ついで昭和三一年八月頃、同年度本予算査定の段階(同年度は六ケ月分の暫定予算が組んであつた)において、文部省の統計による同年五月一日現在の教職員の数が、法定再計画による定数より二五九名(高等学校も含む)超過していることが判明し、県当局としては法定再計画を超える人件費を予算に計上することができないところから、被告に対し右二五九名を早急に整理するよう要求し、年度途中で大量の教職員の整理をすることが教育現場に及ぼす影響を考慮した被告はこれに難色を示し、協議した結果、県当局において右過員の昭和三一年度末までの人件費を予算に計上し、県当局は再建計画の変更について自治庁の承認を得ることにする旨の協定が成立したものの、同年度末には右過員の整理されることは必至の情勢であつた。

ホ、一方給与関係についてみると、もともと教職員の給与水準は他県に比し低位にあつた。その上教職員を含む佐賀県の地方公務員一般につき県は財政難を理由として昭和二九年六月ごろから給料手当の遅払い分割払いをすることが続いた上、昭和三〇年三月には従来の宿日直手当二五〇円を二〇〇円に減額した。

また県は同年七月及び九月の二回にわたり県人事委員会から勧告又は要望がなされたのに同年四月、七月、一〇月及び昭和三一年一月の各定期昇給日にその発令をせず、「昭和三〇年度の昇給、昇格は定期日に発令するが、発令の日から昇給差額七〇〇円未満の者は六ケ月分、七〇〇円以上一、四〇〇円未満の者は六ケ月分、一、四〇〇円の者は九ケ月分、一、五〇〇円以上の者は一二ケ月分、それぞれ増額分の請求権を放棄する。」(以下六・六・九・一二ケ月分の請求放棄という)ことを要請したので、佐教組、高教組、県教組はやむなく昭和三一年二月一六日右要請を受け入れる協定を締結してようやく発令がなされ、昭和三一年分についても七月、一一月の二回にわたる県人事委員会の勧告にも拘らず再び四月、七月、一〇月、昭和三二年一月にも昇給の発令がなく、ようやく同年一月一六日県職組との間には「三・三・六・九ケ月分の請求権の放棄」の協定が成立し、一般職員には昇給の発令がなされたが、佐教組と高教組間では右請求権放棄の関係ではほぼ了解に達していたものの、県当局において昇給昇格につき従来教員については昇格と関係なしに常に昇給するという建前(二本建)であつたものを県当局の他の職員並みに昇給と昇格が重なる場合には昇格のみをする建前(一本建)にしたいとの主張とこれに反対する教組側との間に了解がつかず協定に達せず、そのままでは昇給の発令される見込みは立たなかつた

また法定再建計画では給与関係については昇給財源は昭和三一年度は昭和三〇年度末の現給の二パーセントを計上するが、昭和三二年度以降はこれを計上せず、一般財源の自然増の範囲内で行うこと、超過勤務手当は従来六パーセントであつたものを一般職員三パーセント、警察官四パーセントとするが、学校事務職員は昭和三一年度二パーセント、昭和三二年度一パーセント、翌年以降〇パーセントとし、従来二〇〇円であつた宿直手当を一五〇円にするというものであつた。

(三)、法定再建計画には当初被告も批判的で昭和三一年五月一日県知事に対し、「教職員の配置については、現行の定数条例による昭和三〇年度の配当基準を維持すること、完全昇給昇格に要する財源の確保について特に遺憾のないよう措置すること、宿日直手当は最低二〇〇円の予算措置を考慮すること、学校事務職員の超過勤務手当について、一般職員との間に差別を設けず、均等に支給すること」を要望する意見書を提出したほどであつた。

また前記のとおり同月一四日には地教委、県P・T・A連合会、県小中学校校長会は佐教組と共催で「教育を守る県民大会」を開催し、一連の教育費削減計画が児童生徒の不幸をもたらすものとして、これを防止するため教職員の現員確保や、昇給昇格の完全実施を訴える決議をした。

昭和三二年二月初旬鳥栖市校長会は、再建計画の教育に及ぼす影響を憂慮し、その変更を求める旨の声明文を父兄に配布した。

その頃県小中学校長会は「もし、この財政再建計画が断行されることになれば、本県教育は沈滞し、児童生徒の学力低下、不良児の続出、勤務過重による教職員の疾患激増、年令低下による練達教師の減少等悲しむべき事態が年とともに深刻化することは火をみるよりも明らかで、正しく佐賀県教育は一大危機に直面しているというべきである。教職員の定数については現員を確保し、昇給昇格の完全実施を可能ならしめるため再建計画の変更を要望する。不合理な退職勧奨に反対し、教職員の勤務年限延長を期する。」との決議文を採択し、これを県議会、被告、県当局等に提出した。

また県P・T・A連合会も臨時大会を開き「郷土を愛し、教育を愛するが故に現状を黙視しえない。総力を結集して教育費、教職員の削減に反対し、本県教育を守り抜くことを誓う。」旨の宣言文を採択した。

(四)、(1)、佐教組は前記一連の教育費削減計画に対して一貫して反対の態度をとり、昭和二九年五月及び九月の県議会における教育費削減案の審議に際しては、ニュースカーによる県民への訴え、各組合員による県議会議員、県教育委員等を自宅訪問しての陳情運動、組合員による一斉昼食抜き、県庁前座り込み、デモ行進等による抗議運動を行い、或は県議会への陳情を行い、いわゆる四〇八条例の制定に対しては「人員削減、予算削減を強行するならば我々は重大な決意で強じんな闘争を展開する」旨の警告宣言を発し、「地方自治と教育を守る教職員総決起大会」を開催し、知事に対して条例案を議会に提出しないよう要求する大会宣言を採択し、課外授業、宿日直拒否の順法闘争等を行つた。

(2)、又法定再建計画の策定に対しても、組合員が一斉に知事に対して、自治庁の干渉を排除されたい旨の陳情書を提出し、市町村別に地教委、P・T・A、婦人会を主とする教育問題研究会を開催して教育の現状についての認識を深めさせると共に定員削減反対の決議をし、分会毎に出身県会議員、被告等への陳情を行い、更に被告、地教委、県P・T・A連合会、県小中学校校長会等と共催で「教育を守る県民大会」を開き、教職員の現員確保や昇給昇格の完全実施を訴えること等を決議した。

(3)、昭和三一年六月一〇日の佐教組の第三一回定期大会において、出席代議員の中から、「従来まで佐教組は教育予算削減と教職員の人員整理に対してあらゆる方法で反対運動を展開したにも拘らず、ほとんど効果がなく、このままでは佐賀県の教育は重大な結果になる。佐教組としては更に強力な運動をする必要があるのではないか。」との発言があり、そのような危機感が代議員間にみなぎつており、結局法定再建計画実行の最重要段階において実力行使を行なう旨の決議がなされた。

その後佐教組が行つた組合員の意向調査によれば、同盟罷業あるいは一斉休暇闘争を行うべきであるとの意見が相当数あらわれるに至つた。

(4)、ついで同月五日の第一六二回中央委員会において、「一率二、〇〇〇円のベースアップを獲得すること、不当な再建計画の執行に反対し、計画変更を闘いとること、定数条例、再建計画の首切りに反対する。昇給、昇格の完全実施を獲得すること。」等を闘争目標とし、秋季から年末にかけての闘争方針と併せて、春季闘争方針として、「新年度予算の知事査定、首切りに対して本年最大にして強力な行動と法廷闘争を準備すること」を決定した。

(5) 佐教組は同年一〇月中二、三回にわたり、県知事及び総務部長に定員問題、給与問題、昇給昇格問題等について要望書を提出して交渉したが、一〇月二二日には高教組と連名にて県知事に対し、「一率二、〇〇〇円のベースアップを実施されたい。教育の現場は四〇八条例、再建計画により非常な混乱と教育の低下を来しているから、現定員を確保するため、再建計画変更を強力に中央に折衝されるとともに追加予算、新年度予算に計上されたい。」旨の要望書を提出し回答を文書でなされたい旨要望したところ、県知事は同年一一月五日、要求内容の実現は困難である旨の回答書を発した。

また佐教組は同月一九日、被告に対し本年度予算未計上の二五九名の人件費を早急完全に追加計上すること、五月一日以降の欠員を補充すること(たとえば、三根東中学では英語教師が欠員のまま補充されなかつたため、英語の学力が非常に低下した)、新採用者で六ケ月間の条件付期間満了者は当然本職員に切りかえること、期限付採用という無謀な採用形式はこの際撤回すること、(期限付採用の方法は同年四月から実施され、該当者は約一一〇名いた)助教諭の単位修得のための講習会を開催するとともに臨時免許状の再交付をすること(県は昭和三一年度は財源の制約から単位習得のための講習会を開かなかつた。また被告は当時臨時免許状所有者に対しては昭和三二年三月末をもつて免許状の更新をしないという方針を決定していたが、臨時免許状所有者は約四〇〇名いた)、四月、七月及び一〇月の昇給昇格を早急に完全に実施すること等を要求する旨の要望書を提出した。

県当局は同年一一月昭和三二年度の予算編成方針を決定したが、右方針によれば、教職員二五九名は再建計画どおり昭和三二年三月末にこれを削減するというものであつた。佐教組は再三被告及び地教委に教育の現状を訴えたが、被告は右予算編成方針に従い、昭和三二年一月、この方針どおりの予算要求書を県当局に提出した。

(6)、昭和三一年一二月一〇日から三日間、福岡県教職員組合が、全組合員が三・三・四割の有給休暇をとり、措置要求大会を開催する闘争を行い、佐教組からも数名が応援に赴いていたので右情報は直ちに知らされた。

以上のような情勢において、佐教組執行部は、同年一二月一三日及び一四日の執行委員会、一五日の拡大執行委員会で協議のすえ、佐教組が過去においてとつてきた運動方式ではほとんど効果がなく、一部組合員からも執行部に対して強力な闘争方法を強く要求していたところから、組合員の団結力を最大限に示すとともに県民に問題の重要性を再認識させる効果があり、しかも学校の授業になるべく支障をきたさず、合法の範囲内で組合員全員が参加できる統一行動の方式として、右福教組の事例をも参考にした上第一日二割、第二日二割、第三日三割、第四日三割(以下二・二・三・三という)の休暇闘争を含む実力行使を中央委員会に提案することを決議し、同月二〇日の中央委員会において右の提案をしたが、事重大であるので各分会において検討するということで継続審議となつた。なお同委員会では定員確保、昇給昇格闘争の方法として、陳情、請願、坐り込みなどを行い、一方執行部は対県交渉を強化する等の戦術が提案され可決された。

(7)、昭和三二年一月一〇日より希望退職者の受付が始まつたので佐教組は、教職員に対し年度末の定員削減のための退職勧告がなされることを予想し、同月一七日、県教育長に対し、本人の希望以外は勧告を行わないこと、臨時免許状の再交付又は期限延長の措置をとり、臨時免許状所有者を勧告の対象にしないこと、勧告については不当な強制や人権を無視した言動がないよう被告の責任において教育事務所及び地教委に徹底させること等を要望した。

(8)、同月二三日開かれた第一六五回中央委員会において「一月二二日より一月二五日まで二支部単位の動員交渉を行う。一月二八日、二九日、三〇日の三日間坐り込み又はハンストを県庁前で行う。第一波実力行動として二月四日より三日間、組合員の一割動員交渉を行う。第二波実力行使として、二月一二日より一週間の間昭和三二年度予算の知事査定の重大段階に、二・二・三・三の休暇闘争を行う。本部は実力行使を背景に日教組、県総評の協力を求め、徹底的な対県交渉を行う。」こと等が提案され、同中央委員会はこれらの議案について討議した結果「二月四日より三日間、組合員の一割動員交渉を行う」との原案を「二月四日より三日間各分会選出の代議員数による動員交渉を行う」と修正して決定し、二・二・三・三の休暇闘争の原案については、その割合について「二・二・三・三」「三・三・四」「五・五」「一割一〇日」「一〇割一斉」等多くの意見が出て紛糾したので、小委員会(各支部から代表者一名を選出して構成した)を設けて討議した結果、「三・三・四」と「一〇割一斉」の二案にしぼつたうえ、本委員会で採決を行つたところ「三・三・四」は途中で切り崩しに合うおそれはあるが、平常の教員の出張や欠勤の実情から授業が確保できるということで、絶対多数の賛成をもつて「三・三・四」休暇闘争に修正して決定し、なおこれを全組合員の一般投票にかけ、二月一〇日に予定される臨時大会で最終的に確認することを決定し、その他の議案についてはいずれも原案どおり決定した。

(9)、佐教組執行部は、二月一日、二日及び四日の拡大闘争委員会における協議を経て、同月五日同会館で開かれた第一六六回中央委員会において、休暇闘争の日程を具体的に二月一四日、一五日及び一六日とし、この三日間に各分会三・三・四の休暇闘争をもつて要求を貫徹するとの案件を全組合員の直接無記名投票に付し、二月九日までにこれを実施し、集計すること、ならびに同月一〇日に第三二臨時大会を開催して、二月一四日、一五日、一六日の三日間定員削減の重要段階に各分会三・三・四の休暇闘争をもつて要求を貫徹すること及びその実施要項に関する議案を同大会に提案することを提案し、同中央委員会はこれらの議案を原案どおり決定した。

(10)、佐教組執行部は、同月七日の執行委員会及び同月九日の拡大執行委員会において、同月一〇日開催される第三二回臨時大会の運営について打ち合せを行い、一一日以降の分会、支部及び本部のとるべき詳細な具体的行動を規制する「一一日以降の行動について」という文書を右大会出席者に配布することを決定し、オルグ派遣についても協議したうえ、同月六日から八日までの間に各分会で実施された組合員の一般投票の結果を集計したところ、七八パーセント強が三・三・四休暇闘争に賛成であることが判明したので、これを右大会に提出して確認を受けることとした。

(11)、ところで県知事は、同月初ごろから県立病院に入院し、佐教組からの交渉申入れに応ずることを拒否し、総務部長は同月六日ごろ上京し、県知事も同月八日ごろ退院すると同時に上京してしまつたので、佐教組は県当局と折衝する機会を失つた。

(12)、佐教組は、同月一〇日第三二回臨時大会を開催し、「二月一四日、一五日、一六日定員削減の重要段階に各分会三・三・四の休暇闘争をもつて要求を貫徹する。この指令権を中央闘争委員長中島勇に委譲する」旨及びその実施要項を提案して前記一般投票の結果を発表したところ、同大会は絶対多数の賛成でこれを確認し、右議案を決定した。

右実施要項が定めるところは、「各分会は二月一一日職場集会を開催し、闘争態勢を完了し、支部へ連絡する。各分会闘争委員長は、休暇届をそれぞれ前日までにとりまとめ学校長に提出する。届出とともに休暇中の児童生徒の措置と計画を呈示する。一四日、一五日、一六日佐賀市公会堂及び唐津市公民館において要求貫徹総決起大会を開催する。この集会は昇給、昇格、定員について、組合員個々の措置要求書を提出するための集会である。休暇動員者は児童生徒に、仕暇日における自習計画を話し、徹底させる。低学年の場合は隣接学級学年の組合員に細部を口頭にて連絡する。休暇者以外の残留者は休暇の事後処理を完全ならしめるよう措置する。隣接学年学級の自習の世話、臨時に起る休暇動員者の事務は積極的に措置する。」こと等であつた。更に、同大会は「今日県当局は再建計画どおり昭和三二年度の予算編成を行いつつある。佐賀県教育は、教職員の三〇〇名に及ぶ大量退職という悲惨な断崖に立たされているのである。定員減が学校教育に重大な支障を与え、教職員に労働過重を強い、児童生徒の学力は低下の一途をたどつている。そして父母の負担は増加し、義務教育の本質は歪められ、教育の機会均等は大きく浸害されているといわなければならない。このときに当り佐教組は、佐賀県教育を守るため来る二月一四日以降第一波実力行使を断行し、県当局や政府の善処方を強く要望するとともに、教職員の団結を固め広く父母県民に理解を求め、教育を守る県民の総決起を促さんとするものである。」との宣言文を採択した。

(13)、同月一一日佐教組は坂井教育長に前記第三二回臨時大会の宣言文を提出して、三・三・四休暇闘争を決定した旨を通告するとともに、交渉をもちたい旨要求したところ、被告は翌一二日「三・三・四統一行動は学校の正常な運営を阻害するのみならず、教育上いろいろの問題を惹起するから絶対に回避してもらいたい。」旨の文書を交付したうえ交渉にはいつでも応ずることを通告した。

ところで当時上京していた宮副県総務部長は、教職員二五九名過員に対する昭和三一年度内の予算措置及び昇給昇格の差額の請求権放棄を当初の予定六・六・九・一二から三・三・六・九に緩和することについて、いずれも自治庁の承認を得たので、これを佐教組に伝えて、休暇闘争を回避すべく、県知事の命により二月一二日夜佐賀に帰任した。そこで佐教組は翌一三日午後四時ごろから、県庁総務部長室で、総務部長と交渉をもつたところ、総務部長は、佐教組に対し前記二点について自治庁の承認を得て解決したことを伝えて、翌一四日からの休暇闘争を中止してほしい旨を要望したけれども、二五九名は年度末においても削減しないこと、昇給昇格の二本建の維持という佐教組の要求に対しては、何らの進展はなく交渉はものわかれとなつた。

そこで佐教組は、同日午後七時ごろから翌一四日午前四時ごろまで、被告とも交渉をもつたが、被告の回答は「二五九名の整理については無理な勧奨はしない」との点を除き、右整理そのものをしないこと及び昇給昇格については右総務部長の回答以上のものでなかつたので、佐教組はこれを不満として交渉は遂に不調となり、ここにおいて佐教組は同日より三・三・四休暇闘争に入つた。

(五)、右休暇闘争はほぼ予定どおり、県下小中学校の教職員が、二月一四日には二割七分余、一五日には二割七分余、一六日には三割三分余の教職員が一斉に年次有給休暇届を提出して勤務につかず、佐賀市公会堂及び唐津市公民館で開催された「要求貫徹総決起大会」に参加したものであるが、各分会は前記第三二回臨時大会の決定の趣旨にしたがつて児童生徒への影響が最小限度に止まるよう休暇請求をする組合員が同一学年、隣接学校にかたよらないよう、また休暇をとる組合員はテスト用プリントを作成したり自習計画等を綿密に練り、残留組合員に指導監督を依頼する等充分の協議を整えた。また当時校長も大部分組合員ではあつたが、二月一二日執行部から「校長は要求貫徹大会に参加せず、学校運営責任者として残留し、正常な運営を阻害しないよう十分留意する」との指示もあり、休暇を請求せず学校の運営に混乱を来さないよう努力した。

そのため、闘争期間中臨時休校や授業の一部打切りが行われた学校も絶無ではなく、また予定が映画観賞や学芸会の練習等に変更された学校もあつたが、普段でも小・中学校では研究発表会、研修あるいは教科書展示会等のため三割程度の教員が出張することも絶無ではなく、闘争に参加した教職員の前記のような周到な準備や残留教職員の努力の結果、総じて学校は平穏に運営され、担任教員の欠けた学級の児童生徒も平静に自習、テスト、合併授業を受けた。

(六)、なお本件休暇闘争後の昭和三二年三月県議会において知事は昭和三二年度には児童生徒の自然増による教職員の増加の外一二〇名の定員増をはかるよう努力すると言明し、同年九月右定員増による計画変更につき自治庁の承認を受けた。

二、(一)、以上詳述したとおり、佐賀県の教職員の労働条件は県財政の異常な逼迫という特殊事情の下にあつたとはいえ、定員関係についていえば昭和二九年九月県議会で可決された経費節減計画による定員の削減、翌三〇年の四〇八条例制定による四〇五名の退職によつて教育に影響が出始め、教職員の勤務の過重が明らかになつたのに、昭和三一年策定された法定再建計画によれば更に七〇〇名に上る定員削減が行われる外新陳代謝計画によつて多数の高年令層が退職を余儀なくされることが明らかであり、その一環として昭和三二年度末には二五九名の人員整理が必至という情勢にあつた。

また右のとおり勤務過重の度が加わるのに対し給与諸手当においても他県に比して決して恵まれた状態とはいえなかつたのに、昭和二九年六月頃から給与の遅払い分割払いが断続的に続き、定期昇給の発令が一時見送られ、昭和三〇年度には六・六・九・一二ケ月分の請求権放棄の県当局の要求を受け入れて始めて発令されたのに、昭和三一年度には三・三・六・九ケ月分の請求権放棄の外更に従来より不利になる昇給昇格の一本建の県当局の要望をのまない限り発令される見通しがない上、法定再建計画では将来昇給ができるかどうかは県の歳入の自然増という不確定な要素のみにかかり、その他宿日直手当の連続二回にわたる減額、事務職員については超過勤務手当の減額更には廃止等佐教組組合員にとつて法定再建計画が実行に移された場合、その勤務条件ひいては佐賀県の教育の将来に対して絶望感、焦燥感を抱いたのは極めて当然であり、しかも昭和二九年五月県議会に五、五〇〇万円の教育費節減案が提出された頃から、およそ考えられるあらゆる反対闘争を実行しながら殆んどその効果を上げることができず、ほぼ県当局の計画どおりにことが運びつつある状況にあつて、これを阻止するためには他に方法はないとの判断の上に立つて本件闘争が計画されたものであつて、組合員の勤務条件の維持改善を基本的任務とする佐教組が人員整理に反対し、昇給昇格の完全実施を目標に掲げて行つた本件休暇闘争はまことにやむを得ざるに出たものといわなければならない。

(二)、被告は右一連の経費節減計画は佐賀県の行財政の全般にわたつたものでありひとり教職員にのみしわ寄せされたものではなく、仮に教職員の犠牲が他の職員に比し大きかつたとしても、右計画が一般に佐賀県の行政規模を類似県並みにするとの基本原則に出たものであり、教職員の佐賀県と類似県との定員の差が、他の職員のそれに比し著しく高かつたことによるものに過ぎず、したがつてまた定員削減の結果勤務条件が少なくとも類似県に比し著しく劣悪になるものではなかつたと主張する。なるほど前記経費節減計画が佐賀県行財政全般にわたり、ひとり教職員の人件費のみが削減の対象となつたものでないことは被告主張のとおりではあるが、しかしながら法定再建計画中の教職員の定員算定にあたり、類似県には佐賀県と異り、市町村費で賄われている養護教員、事務職員が相当数に上ることを看過して、文部省統計のみを基礎としたこと、教職員の事務量の測定には一学級当りの児童生徒数も要素となることを考慮に入れるべきであつたこと等の点で必ずしも当を得たものとはいえないし、法定再建計画が教職員の勤務条件ひいては佐賀県の教育全般に及ぼす影響を憂い、反対の態度をとつたのはひとり佐教組のみではなく、P・T・A連合会、小中学校校長会等も軌を一にしてその変更方を要望していたこと、当初は被告自身も批判的であつたこと、昭和三三年度になつてからではあるが、児童生徒数の自然増に伴う定員増の外、一二〇名の定員の増加に伴う再建計画の変更を自治庁も認めざるを得なかつた実情などからみて、佐教組の掲げた要求をもつて、県財政の現状を無視したひとりよがりのものとは到底いうことはできず、被告の右主張は採用できない。

(三)、給与、勤務時間その他の勤務条件等についての研究の成果を地方公共団体の長又は議会に提出し、職員の給与が法律又は条例に適合して行われることを確保するため給与の支払いを監理し、給料表に定める給料額を増減することが適当と認めたときは勧告をする等の権限を有する人事委員会制度が、地方公務員の争議権禁止の代償措置として設けられていることは疑いのないところであり、右勧告等が地方公共団体を法律上拘束するものではなくても、これが誠実に実施されている場合は有効な代償措置としての機能を果しているものというべきではあるが、しかし本件の場合にはすでに認定したとおり屡次にわたる県人事委員会の給与の支給日の不遵守、昇給昇格の発令のおくれに対する勧告ないしは要望が誠実に実施されたことはないのであるから、当時県人事委員会制度が有効な代償措置の機能を果していたものとは到底いうことはできない。

(四)、つぎに本件闘争の方法である三・三・四割の休暇闘争が発案されたのは、一面闘争の効果を考えながら、他面教育への影響を最小限度にとどめようとする考慮から出たものであつて、第三二回臨時大会において授業確保のための周到な方策が協議され、右計画どおり実行がなされたため、本件闘争期間中、教科の進度に多少の遅れのでたことは否めないにしても、全般的に極めて平穏に学校運営がなされ、児童生徒の学習態度も平常と異なることはなかつたものであつて、本件休暇闘争の教育に及ぼした影響は容易に回復できる程度のものであつたかはともかく、比較的軽微であつたものということができる。

(五)、以上のとおりであつて、本件休暇闘争の教育に与えた影響は必ずしも重大とはいえなかつたのに比し、佐教組の組合員たる教職員が争議行為を禁止されることによつて蒙るべき損害は極めて重大であり、これらを比較衡量すれば後者の争議権が尊重されるべきである場合にあたり、したがつて本件休暇闘争は地公法三七条一項によつて禁止された争議行為に該当しないことになる。

第五、結論

被告のなした本件懲戒処分は本件休暇闘争が地公法三七条一項に該当する違法なものであることを前提としていることは明らかであり、したがつてその点が否定される以上原告らが別表二記載のような行為をしたかどうか、それが地公法第三七条一項後段に該当するかどうかなどその余の諸点を判断するまでもなく、本件処分は違法であつて取消しを免れない。よつて原告らの本訴請求はすべて正当としてこれを認容し、訴訟費用につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(諸江田鶴雄 松信尚章 大浜恵弘)

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